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角砂糖一つへの想い

私の高校時代の恩師に勝典子先生という先生がいらっしゃいます。先日行われた同窓会にもいらっしゃり、70歳を過ぎてもなおしっかりと熱弁をふるっていらっしゃいました。
そんな勝先生は私がやっているKIプロジェクトの活動に賛同してくださり、KIプロジェクトのご案内をお知り合いの方に配布して頂いたりご紹介頂いています。
戦線のご自宅に招かれお話しを伺っているときに、先生はこんな話しをしてくださいました。
「私は身体が弱いから、被災地に行っても役に立たないから。だから口で応援するのよ。」といつものように半分真剣に半分冗談のように切り出されました。
「私は終戦間近に生まれてね。小さい私たちの兄弟を母が育ててくれたの。空襲とかが来ると、防空壕に母が私たちを連れて行くんだけど、みんな殺気立っているから『泣いている子どもがいたら標的にされる!子どもは連れてくるな!』って言われて外の方へ追いやられたりしたの。母は仕方なく子ども達が泣かないように身を寄せて、外の方にいると優しい方がそばに来て『泣かないようにね』って角砂糖を一つくださったの。母はそれを私たちに舐めさせてくれてね。戦時中の角砂糖なんてとても貴重品だから。そんなことをしてもらって何とか今の私がいるの。防空壕の奥で陣取って威張ってた人は後から酸欠で亡くなったって聞いてね。人生、何が起きるかわからないじゃない。そんな幼少時代を過ごしたから、ほんの少しだけでも東北のお役に立ちたいと思っているのよ。」と。
私たちの活動は角砂糖一つを届けるぐらいのことかもしれません。もしかしたらそれにも及ばないことかもしれません。でも、できることをほんの少し、やりたいと思っています。
先生には、いつも「角砂糖届けてくるね!」なんて軽口を叩いています。まだまだやれることを続けていきたいです。