以前は自分自身もよく使っていましたし、好きな言葉だった「効率がいい」とか「コストが安いから」という言葉が最近はあまり好きではなくなりました。それは原発事故が起きてから強くそう思うようになりました。原子力発電は非常に効率よく発電しますし、コストも安いと考えていました。何となく危険かとも思っていましたが、「ゼッタイに安全」という言葉を信じていましたし、資源が少ない日本ではやむを得ないと思っていました。
しかし、起きないはずの事故が起きて、安いと言われていた原発が事故を起こしてその処理に非常にお金がかかっています。まだまだ解決できそうではありませんし、もしかしたら解決できないのかもしれません。
知らなかったことや知ろうとしなかったことは別の機会に書くとして、効率がいいと思っていることが、実はとても非効率であったり、コストが安いことが実は後から思ってもみないようなコストがかかることがわかってきました。
非効率なことが本当はとてもいいことであったり、別の何かステキな価値を生み出すように感じています。
例えば田舎に住むということ。田舎に住むことで仕事が少なかったり、町へ行くまでに時間がかかったり、学校へ通うのも時間がかかってとても非効率に思えます。でも、町へ行くことの効率を選ぶことで、田舎でののんびりとした生活や人間関係という「大切な価値」を失ってしまいます。
効率だけを求める生き方をみんながそろそろ止める時期なのでは、と思っています。多少面倒だったり、多少不便だったり、多少効率が悪いことの中に、人間らしい生き方みたいな素晴らしいものがありそうな気がしてなりません。
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